夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

新しい概念を言葉で伝えるのは無駄 体験させろ という話

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 自分にとっては良いアイデアと思ってもいざ他人に話しても反応が期待ハズレの時が私の場合多いと思う。いや、100%表現するのをなかば諦めているために表現がぞんざいになってしまうためにかえって素晴らしさを伝えきることができないのかもしれない。ラーメンなどの料理のおいしさ、映画の素晴らしさなどは相手の無反応さを考えるともう説明するのが萎えるほどだ。だからか「見てみるといいよ」とか「食べてみるのが一番」と短いおすすめの言葉で終始する。自分でも悪い傾向だとは思っている。しかし、つまらないことを理解してもらおうと思う時間が無駄に思える。人生の時間は有限である。それを表現することが人生にとって有意義であればそれはそれでいいことであるのだがそうで無いことの方が多すぎる。

 

 中古であるが電気自動車に乗り換えてはや2ヶ月が経とうとしている。毎週1回はガソリンを入れに行く習慣の代わりに週に3回ぐらい、1回に10分ほどの充電タイムが増えた。ここだけ読むと電気自動車とは充電するのに時間がかかる、なんとも面倒くさい乗り物だというように感じるかもしれないが、慣れとは恐ろしい、今では仕事の帰りや土曜日の朝の充電タイムが楽しみだ。反対に1回に10分は短すぎると思うぐらいだ。電池残量が半分ぐらいで充電に行ってしまうので1回にかかる充電タイムは10分から15分で終わってしまう。充電タイムをただじっと無為に過ごすのであれば人生の無駄と言えるかもしれないが、近くのコンビニに行ったり本を読んだり4コマ漫画の下書きや調べ物をすれば10分などすぐに経ってしまう。

 

 この10分の積み重ねでいろいろなことができる。週に3回1ヶ月は4週で12回、120分を一気に確保するのは難しいが細切れであれば確保するのは難しく無い。電気自動車の充電タイムは人生においていろいろなことを提供してくれる。充電にかかる電気代はかからないが充電の時間がかかる?今回の場合、電気代と充電時間はトレードオフの関係にはないと思っている。充実なる細切れ時間が手に入りつつさらにガソリン代が節約できる。今の所電気代は1円もかかっていない。

 

 しかし私が良いと思っていても他者から見れば手間も時間もかかる行為だ。上記のメリットを1回で理解することはできないだろう。いやさ、表層では理解できたとしても深層では違うことを考えている。私が熱い気持ちで説明すればするほどさらに相手は引いてしまう。概念が無いことを無理に推し進めようとしても無駄だ。説明を何時間繰り返してもお互いに無駄な時間を消費するだけだ。

 

 だが、こういった状況を打破する方法も無いことも無い。実際に体験をし、実際に見ることである。「百聞は一見に如かず」を実践してもらう。「やってみればいい、見てみるといい」という一言で全てが解決する。もっともそれを受けて相手がやってみるかどうかは別であるが相手の本気度がわかる。見ようともしない、簡単なことから実践しようとしない人を相手にして無駄な時間を使うことを回避できる。「やってみればいい、見てみるといい」という言葉は時間節約の魔法の言葉だろうか。相手の概念に無いアイデアを伝えるためには効果的な方法だ。

 

 電気自動車?乗ってみればいいよ。

 

 

軸地(じくち)たる思いが去来する数日間

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 日本交通公社(現JTB)の社員が主人公の小説があった。高杉良著「組織に埋もれず」だ。小説の冒頭から阪神淡路大震災の災害ボランティアに参加するところから始まる。その頃ボランティアという行為はまだ新鮮で「へーこういう人もいるんだー」ぐらいでしか思っていなかった。それが月日が経ち東北でも大きな震災があり多くのボランティアを受け入れた、いや、来ていただいた。

 

 天災が起きた時にはボランティアが復興の重要な担い手となる。が、今回の豪雨災害は被害面積が広くボランティア組織として受け入れが難しいと思った。ボランティアとして参加するほうとしてもどこに行けばいいのかわからない。とにかく仲間数人で数日でもいいから現地に飛び込んだ。病院組織のボランティア基地があるところで登録して乗り込んだ。しかし、毎日40度にもなる暑さにやられてしまった。デスクワーク中心で涼しいところで毎日仕事をしている身としては暑さだけではなく急激な肉体労働はどだい無理があったのだ。現地の人たちにはかえって迷惑をかけてしまったようだ。

 

 家族には何しに言って来たの?と散々な言われようだった。自分でも知りたい。7年前のあの夏も暑かった。津波によって破壊された缶詰工場から流れ出た魚が夏の暑さで臭り、さらには蛆がわいた。その記憶があったから早く助けてあげたかった。たとえすでに事切れていたとしても。

 

 

組織に埋れず (新潮文庫)

組織に埋れず (新潮文庫)

 

 

ゲシュタルト崩壊後の「実質的支配者」の響きの妙

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 漫画を読んでいるとよくある設定でヤクザが資金源として会社を経営しているというのがある。「ヒナまつり」でも新田がやっているコンサルティング会社(不動産会社もか)は実質的支配者は反社会勢力である。また、銀座のホステスの漫画とか見ているとバックにヤクザがいて実はママは組長の女だったなんてのも。さらには学校の先生は実はヤクザの組長の娘だったりというのはあまりない設定であるが、反社会的勢力がバックにいると色々と問題が起きるので設定としては作りやすいが、現実ではそうあるものでは無いのかもしれない。ヤクザにとっては生きにくい時代になった。しかし存在が社会的に否定されていても存在はしている。一定の需要があるのか無いのかわからない。私は警察24時などの番組は好きだが警察関係者が親族にいるという記憶はないしヤクザがいるというのも聞いたことがない。いや、私が知らないだけかもしれないし私こそヤクザな人生を送っている。この社会に住んでいてヤクザの線引きは難しい。

 

 銀行さんが持ってきた書類に「実質的支配者に関する調書」というものがあった。諸々の手続きの最後に出してきた書類なだけにとても事務的であるし、銀行としてもとりあえず聞いておく感がプンプンしていた。「実質的支配者」がだれかは融資や通帳作成の時に確認済みであり当法人が反社会的な勢力と繋がっているわけがない、ていうか反社会的な勢力と繋がっているならば事務的な書類で確認せずとも融資や通帳作成はどだい無理なわけで。長年の付き合いの中で支配者が変わることもあるから定期的な確認が必要なのかもしれない。今回の手続きは「実質的支配者」を確認するのにちょうど良いタイミングだったということだろう。

 

 この「実質的支配者」なる名前、改めて聞くとクスリと笑いたくなった。銀行さんが持ってきた書類をつぶさに見ていたらゲシュタルト崩壊をおこしてしまったらしい。崩壊後の語感が何かRPGのラスボスか影の生徒会会長のような響きをもっていた。ヤクザなどの反社会的な勢力であることは理解しているはずであるが何か違うもののように思えてくる。笑える。銀行さんには私が笑った意味がわかるはずも無いだろうが。

 

娘の考えていることがわからなくなった時

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 生まれた時から娘たちとは程よい距離を保ちながらも何も言わなくてもなんとなく感情だったり欲しいものだったり食べたいものだったりを感知しそれを提供してきた。それは甘やかしというわけではなく親として提供しなければならないもの、提供したほうが良いものを取捨選択をして娘たちのためになるものを与えているという意味で。ゲームやスマホも欲しいがままに提供していたわけではなく早めに与えれば飽きるのも早く次のものに進めるからだ。親としてあまり干渉するとかえって固執してしまう。それこそ程よい距離を保ちながら。

 

 しかしながら咲ちゃんたちもすでに高校生。男親の私としては何を考えているのかがわからなくなったことがことさら多くなってきた。どうやって娘たちの考えていることを察知していたかというと簡単である。本屋に連れて行って興味のある本を買うのだ。ファッションだろうか勉強の参考書だろうか、それとも漫画?なんでもいい。そのテーマを端緒にして何を考えているかを察知する。それを元に必要なものを提供するだけだ。これは中学生ぐらいの時までは効果がある方法だ。しかし最近は外してばかりだ。というか娘二人が将来の進む道について両親としての私たちが考えもつかない進路を選択してことには吃驚だ。これはすでに男親としての使命は終了したということであろうか。今はまだ寂しいのか嬉しいのははわからない。まだ女親としての奥さんの使命は残っている。やはり思春期の多感な娘の女親。その辺は安心して任せて行きたい。もうそんなに長く無い期間ではあるが。

 

 

勇気を振り絞れ!

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 日頃は子供や職場の同僚たちに対しては「大丈夫!」とか「できるから」なんて不確定な根拠のないことばかり言っている自分であるが、こと自分のこととなると、とても怖がり。「大丈夫かなあ」とか「できるかなあ」とか。本当は石橋を渡るがごとく少しづつクリアしていくような性分だ。だから人生にとって勇気を振り絞らなければならない時には本当に腰が引けてしまう。大学受験の時、最初の就職試験の時、妻へのプロポーズの時、子供が生まれた時、あとは書ききれない。どうしようもないビビり野郎。

 

 こんな私でもあるが最近勇気を絞らなければならない事案に直面してしまった。藍ちゃんの3者面談に行かなければならなくなった。本当ならばパスしたいところだが、妻が咲ちゃんの面談について行ったために藍ちゃんの方に私が行くこととなった。怖い。怖すぎる。怖い顔をした先生に会いに行くことが怖いことでは無い。大人だから幽霊とかおばけとか怖い顔の人なんてのは大して怖いと感じることもなくなった。しかし精神的な怖さは克服できていない。今回は藍ちゃんの将来に関わる重要な面談となる。藍ちゃんの違う一面が見えるかもしれないというわくわく感はあるが、それよりも現在の藍ちゃんの学校での評判や成績、将来のことに大して真正面から直視しなければならない。これは顔を背けるわけにはいかない。どうしようもないビビり野郎。

 

 実際には藍ちゃんはいつも私たちがいつも感じていたいつもの藍ちゃんだったし、3者面談の内容は大学への推薦入試についての説明だった。勇気をもって現実と対峙してみればあっけないものだ。「そんなもんだよなあ」とホッとしてみたりする。が、藍ちゃんには勇気を持って現実に立ち向かった私がどう映っていたことだろう。いかん、ホッとしている場合では無い。これからの人生、まだまだ勇気を振り絞らなければならない場面はメジロ押しだ。藍ちゃんが結婚相手を連れてきたら私はどんな顔をして藍ちゃんと対峙したらいいのだろうか。怖い。怖すぎる。これは咲ちゃんの時にも当てはまる。怖い。どうしようもないビビり野郎。わかってくれよみんな。

 

 

充電時間をどのように過ごすのかが悩みどころだが

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 電気自動車と付き合っていくにあたって必ず通る道が充電時間をどう過ごすかという問題だ。街中の日産のディーラーの充電器を使うと、電欠表示が出てから80パーセントまで充電されるには基本30分がかかる。その時間をじっと待つか、充電ステーションの近くにあるコンビニなどで時間をつぶすか、はては日産のディーラーでコーヒーのご相伴に預かるかなど時間の使い方を思案するのは電気自動車ユーザーとしては楽しみでもあり苦しみでもある。

 

 この楽しいながらも苦しい充電時間のやりくりを今回の妻の実家への旅で十分堪能した。リーフは1回の充電で100キロ走ればいい方、ていうか市内で使うには100キロは十分な距離なので急な充電の必要性もあまり感じない。警告が出ても20キロは走る。慣れとは恐ろしいもので、リーフに乗り始めてあと20キロとなった時はドキドキしたが、今は20キロしかないのであれば近くの充電ステーションで充電すればいいだけと思ってしまう。街中にいる限りは充電で困ることは基本的に無いと言える。30分かかるかもしれないがどう楽しむかの問題でもある。さらに言えば充電電気代は契約により私の場合はタダだ。ガソリン代と充電時間はトレードオフの関係にあると言える。30分かかってもいいからタダを選んだのは私だ。

 

 話を戻す。高速道路で妻の実家まで行くのに都合6回の充電が必要になる。50キロごとに1充電という感じだ。100キロ走るのであれば充電回数はそんなになくてもいいだろうと思うかもしれないが一つでもパスすると100キロ走る必要がある。そうなると電欠(充電切れ)の可能性がある。それは非常に怖いので50キロしか走らなくてもサービスエリアで休憩するのだが、充電時間を無為に車の中で過ごすなどという愚行は私の妻には考えられない。ネットや「ハイウエイウオーカー」でサービスエリアごとの名物などを調べ上げている。今年の夏は暑い。ソフトクリームやシャーベット類が飛ぶように売れていた。浮いたガソリン代の行方は自ずと知れるというもの。

 

 今回の1泊2日の実家への旅行で走った距離をガソリン代で換算するとゆうに1万円を超えていた。大満足だ。たとえ充電に時間がかかるとしてもガソリン代がかからない旅行は格別だ。遠乗りに適していないと言われ続けているリーフに乗って今後もロングドライブを楽しもう。たとえ浮いたガソリン代が買い食い代に消えようとも。