はばねろちゃん がんばる絵日記!

意味もなくがんばります

もしかしたら宮崎勤の同類と思われていたかもしれない青春

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つい最近東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件についての再現ドラマをやっていたそうである(私は見ていないが)。その事件があったとき、私は大学生であった。年がばれそうなので逆算しないようにしてほしい。とにかく通称宮崎勤事件があったとき正に青春時代を生きていて実際に毎日のように報道を見ることが出来た。その後の裁判の成り行き、家族がどうなったかまでオンタイムで注視することができた。ドラマは見ていないが、まとめ記事の内容を見る限りでは、あのときの報道に関して、世間がやっと冷静になって見るできる状態となったのだなと感じた。ドラマは見ていないが。

 

事件の内容をつまびらかにするつもりはない。こちらのwikiを参照。

東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件 - Wikipedia

 

 あのときといえば、漫画やアニメ好きは”お宅”と言われ始めの時期である。日陰者である。異性にはモテない存在である。”お宅”という言葉がどこで生まれたかは諸説あるのでわからないがイメージは皆の記憶の中にはあった。どこからとも無く”お宅”という言葉が定着していった時期であった。あのさーっと流れるようにひろまった空気はどこから来たのだろうか。あのときは別にアニメや漫画に限った訳ではない。時はバブルの終焉期。バブルに踊らない輩は揶揄されてもかまわないといった風潮である。縦乗りこそバーチュー(virtue)である。横乗りはバイス(vice)である。ちなみに仙台人は総じて横乗りである。乗りが全く悪い。バブル期なのに数件あったディスコが速攻でつぶれた。バブル期なのに。

 

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 こんなこと行っている自分はどうだったか?はっきり言おう、このときはあの時代のステレオタイプなお宅ではないとはっきり言える(照)。あいつらとは違うと、端からみたらひとからげにされそうな存在であるのに自分のプライドがその世界にどっぷり浸るのを拒否していたようなどうしようもない存在である。今ならいい言葉がある。カミングアウト!。とりあえず自分は違う、禿げていない、これは額だと喧伝している若はげホルダーのような存在である。サブカルチャーという渋谷、青山系よりも秋葉系を選んだ先駆け(地方では総じて東京の後追いであるが)ではあるが、手に入れたペアの映画試写会や招待券をえさに映画にさそったりとそれなりに楽しくも悲しい青春を謳歌していたとしておこう。とにかく映画と小説が大事である。休学して海外へ行ったりととにかく忙しい。漫画?実は言うほど漫画は読んでいない。漫画を読んでいないくせに漫画評論は読んでいた。本末転倒である。中途半端である。薄っぺらいのである。ドラゴンボールは読んでいないのにヤムチャの存在意義を語るような恥ずかしいことである。

 

 なるほど、お宅と呼ばれる兆候はあったかもしれない。無類の映画好き。カルト的な小説も読んでいる。「家畜人ヤプー」なんて読んでいるやつはいなかった。古いSFなんてのも好物。ハインラインとかは、もう内容もわすれてしまったけれども時間が無い中で無理矢理読んだ記憶がある。また、ビデオテープの本数も大学時代に格段に伸びた。3割は報道関係、ニュース映像である。その他は映画のコピーやバラエティの録画ものである。初期の「みなさんのおかげです」などは今でも残っているはずだ。

 その中にはアニメビデオもあった。あったあった。今ではなんか名作みたいに思われている「風の谷のナウシカ」や「天空の城のラピュタ」なんかもあった。高校のときに劇場まで見に行った映画である。あの頃宮崎駿は結構キワもの扱いをされていた思い出がある。興行収入もぼろぼろ。今となっては巨匠扱いである宮崎駿とか安彦良和とか、読み方もちゃんと把握されていないくらいの時代である。みやざきしゅんとあびこよしかず。やっぱり金を生まないと世間は振り向いてはくれない。

 他なんかたくさんあったのは覚えているけど、親にあの頃のビデオ捨てられたからわからない。映画のビデオはどうでもいいけど、あれだけ撮りためたニュースの映像は取っておいてもらいたかった。

 

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 そんな中で起こったあの事件。どんなものだったかは他のサイトを探してくれ。私が言いたいのは、あのとき起こった魔女狩り的なバッシングでありパージである。いわゆる「第2の宮崎勤探し」とも言える雰囲気である。結果的に言えば誰でも良かったのである。だれでも。自分はあの宮崎勤的なやつでは無い。おれは違う。だから他のそれらしい奴を見つけてパージしよう。そうすれば自分がその存在で無いことは明らかに出来る。さあ宮崎駿、ちがった、宮崎勤をさがせ! バブルに乗らない奴はバカという統一思考と同類である。横乗りの奴らはここ一番には縦乗りになる。ばかな奴らだ。お前らはデーモン一族に翻弄されている市民か?

 

 再現ドラマの話にもどろう。あれから30年ほど経ち、事件の検証は細々とされていき、アニメや漫画の描写は報道により恣意的に作られたということがわかっている。あの宮崎バッシングは作られたものであった。同じテレビ局によって再現という形でも事件の再検証がされたことは一定の評価をしてもかまわないであろう。あのとき宮崎勤の同類と偏見の目で見られていた奴らは溜飲をさげていることであろう。自分はドラマを見てはいないが。

 

 もしかしたら宮崎勤の同類と思われていたかもしれないが、自分は宮崎事件に乗じて魔女狩りをする輩たちと同類であったのだ。どちらも恥ずかしい存在である。ばかは自分の中にいたのだ。

 

 

殺人犯はそこにいる (新潮文庫 し 53-2)

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