医療関係に務めているのだから全てにおいて患者に尽くすという姿勢は大事である。また、震災のような社会的な背景がある場合は一市民としてがんばるというやり方は賞賛されるべきであろう。されどこれが個人的な背景があった場合はどうか?ひと1人の命がかかっているのだから断るのは人道上としてどうなのかという選択に悩み苦しんだときにはどうすればいいのだろうか。
表記に通り一身上の都合により骨髄提供の依頼があったにも関わらず断ってしまった。ただの事務職員であるが、医療機関に勤務ししているのに、である。いや、医療機関に勤務しているが一人の人間であるからかもしれない。
あの風は突然吹いた。自分としては待ちに待った骨髄提供の依頼のはがきである(資料と一緒だったかな)。ドナー登録をして15年たってやっとである。
ドナー登録を行ったそもそものきっかけは前に働いていた会社の事務員の女性が急性白血病になってしまったからだ。これをきっかけに会社(支店)内に骨髄提供のドナー登録をしようという機運が高まった。まあどれだけの人間が実際に登録に至ったかはわからないが、私はドナー登録の方法に興味があったのですぐに登録をした。まあ、自分の骨髄の型が女性事務員の型に適合するなんていうことはさらさら思わなかったが、全国にいる白血病患者のためになればと思ったわけである。すぐに提供依頼があるのだと思ったが、型にあった人に白血病患者の人がいなかったからか15年の年月が過ぎてしまった。毎年新聞が届くぐらいであまり気にもとめていなかったので、あの2年前の連絡には身が引き締まった。適合した患者の方には大変失礼だが、同じ型(ないしは近い型)のひとがこの世界にいたんだというよくわからない思いが胸にグッと来た。いよいよ自分の出番ですかと、いざ鎌倉といった意気込みで家族に骨髄提供をしようと相談したところ。
意外なことにダメ出しがでてしまったのだ。
妻も医療関係者であるので当然提供には賛成するどころか積極的であると踏んでいたのに、である。骨髄提供は、必ず家族の同意を必要とする。これは自分の意思だけではどうしようもない。
非同意である理由のひとつは娘たちの受験にあった。下の娘は自分の学力にみあう学校でいいのでどうでもよかったが、上の娘は偏差値の結構高い県庁所在地にある学校を目指していた。毎日進学塾に通っていて送り迎えも私の担当であった。そういった状況のなか、あまり家庭内の空気に波風を立てたくなかったというわけである。消極的な非同意である。
もうひとつは妻の積極的な拒否である。簡単な施術であると理解はしていても数日の入院は必要であり、全身麻酔も必要とある。それ自体は危険なことではまったくなかったが、健康な身体に傷をつけることに拒否感があったのだ。また、確立的にはごく少数であるが、障害が残る人もいるということを気にしていた。妻とはこの件で別に口論になったり、何かしこりが残ったような関係にはならなかった。こちらも説得するまで努力をしたわけではない。やはり妻の気持ちがわからないでもなかったからだ。
妻は2回癌の手術をしている。1回目は結婚をして娘が生まれる前の話。5年を経て健康を取り戻したが、震災のちょっと前に2度目の手術をした。部位はまったく違うが、2回目の手術のおかげで一生薬を飲み続けなければならなくなった。
震災のとき、その薬の唯一の工場が福島にあり、操業停止に追い込まれた。何気ないニュースであったが、私たちには非常に危機感があったことを覚えている。健康が一番いいということを一番身にしみているのは彼女である。骨髄提供をすることでかなりの確立で救える命がそこにあったとしても、彼女の拒否にはかなわなかった。病気ならまだしも健康な身体に穴を開けるなんて、と短い言葉だったが、その言葉の重さに何もいえなくなった。2回目の手術から5年を超えていた。
結局、1週間が過ぎ、回答の督促のはがきも届いた。ちょっとした抵抗ではあるが、”同意”と”断り”のどちらにもチェックをして送付した。誰にも話せないことであったが、骨髄バンクの方々には、私が逡巡しているということをちょっとでも感じてほしかった。提供を希望して待機している方には非常に失礼だと思ったが。
後日、骨髄バンクから書面が届き、次回お願いしますという丁寧な手紙をいただいた。ちなみに待機期間は6ヶ月としておいた。6ヶ月もすれば高校受験は終了、4月を迎えているはずである。そのときまた依頼があればと思ったのだが。