夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

初音ミクにハートを ブレードランナーの大いなるテーマ

 

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 久しぶりに「RURロボット汎用ロボット製作所」を読んだ。青空文庫にあるものだからいつでも読める。ロボットと言ってもこの作品の示すロボットはアンドロイドに似た、人間の様な有機組織を使ったより人間に近い人形だ。この世界で人間とロボットとの違いは生殖が出来ないことと、与えられた仕事は出来るけれども命令されないとなにも出来ないということである。最後に自分自身を生み出せないことでロボットたちは苦悩する。毎年何万というロボットが故障していく。ロボットは自分たちを修理する事は出来ないので故障を止められない。”故障”したら” パージ(破壊)されるだけの使い捨て。人間たちは子供を生まなくなり、子孫が途絶え、最後にはロボットに最後の一人を残して根絶やしにされてしまう。ディストピア小説の真骨頂。

 これを読んだのはいつかというと今日、それもブレードランナーの新作を見るために待っている映画館のロビーでである。私の性分として映画を見る前は完全にネタバレをシャットアウト、前作の正当なる続編となるらしいので楽しみにしていたところ、いざ鑑賞したところ、RURとは同じ話ではないにしても定本にしたとおもえるほどコンセプトが似ていた。ネタバレをさけるためにどこがどうということは言えないが。

 

 私の記事にはアナログとデジタルの比較が良く出てくる。前作はすべてアナログ(模型やマットペインティング)である、新作は完全デジタルである。アナログ時代だったからこそスペシャルエフェクトにもびっくりさせられた。新作はオールデジタルで作成されており、何でも出来て当然、手抜きは出来ない。しかしながら、今回の新作においては、CGが目立たない。スピナーの派手な発着があるかというとそうでもない。主人公のK(ケイ)が乗るスピナーは、わざわざ飛び立つシーンや降り立つシーンはない。普通に車輪で走ってきては止まっているような風である。まったくCG臭くないのだが、実は至る所に特殊効果だらけなのだ。それは、ストーリーを邪魔しない、大いなるテーマを際立たせる効果がある。前作でSFXばかりが目につきすぎたばかりに、新作も新手の特殊効果を期待して見るとがっかりする。そういう映画ではない。技術が発達すると技術が目立たなくなるものだ。

 

 大いなるテーマ、それは親と子の邂逅であろうか。それとも新たな生命の誕生であろうか。前作と同じようにゆっくりとストーリーは展開する。デッカードとKとの関係は、レイチェルはどうしたのか、そもそもKは何者なのか。興味は尽きないが、前作との比較に没頭するのに忙殺されて、隠されている大いなるテーマを見逃していはいけない。

 

 初音ミクは誕生して10年だそうだ。AI技術が発達して行くと初音ミクにもAIが奢られて自発的に動いたり喋ったりするのだろうか。今回の映画には似たようなキャラが登場するがこのキャラもレプリカントとは違う人格の対比として登場する。実態は無い彼女が愛を語る。Kにとってその愛は本物だったのか、それとも。レプリカントやRURのロボットを作るよりは実現性が高そうである。