心霊ビデオに関係する話。
日頃、幽霊とか亡霊、お化けなんていない、なんて言っている割には暗闇が怖かったり深夜の墓場や殺人事件が起きた現場には行きたくないなと思っている。広い部屋に一人でいると後ろから抱きつかれるとか窓の外から見られているのではないか心配になったりする。幽霊こわい。
どうでもいい話をした。ところで幽霊ってそもそもなんだ?幽霊の存在は私のなかでは解決済みである。このテーマに関しては歴史的に非常に微妙な話になるので、後ろから刺される恐れがあるくらい怖いお話。
古代の神(カミ)とはどんな存在か。邪馬台国の世から大和朝廷のころまで、風や熱、光、川の流れ、地鳴りや雷など自然の現象が祭るべき存在がいわゆる神(カミ)であり、それらは一つの場所にとどまっている存在ではなかった。だから、現代の神社などのように1か所に神をまつるというものではなかった。祭壇はいたるところにできては消える。山や川、谷、太陽の上る方向沈む方向どこにでも祭壇はできる。神官はその祭壇の場所を決め、その部族のしきたりに基づいて神を呼び、神の言葉を伝え、神託にもとづいて人々は稲を植え、実りに感謝し、その感謝の心を神を祀ることで応えてきた。しかし、カミという存在には実態はない。顔や形、色など何もなかった。
しかしながらいつからかカミに対して人格が与えられ、カミの存在そのものが一つの場所に祭られるようになる。それは天照大神(あまてらすおおみかみ)の誕生から始まっている。日本書記には、大海人皇子が壬申の乱の際伊勢へ向かう途中、とお川のほとりで天照大神を見たという記述がある。日本におけるカミの人格化はここから始まっている。これは500年代に倭国に入り始めた仏教の影響が大きい。仏=人型であり、人型である仏が国の礎として勢力を伸ばしていき、大王家としても仏に帰依するようになる。人格や形がなかったカミの存在に形が生まれた瞬間だ。
神が人格を持つと8世紀から現代まで、神社の神は人間の形をして人間(神)の名前を持つようになる。菅原道真公は有名。皆の近くにある神社に行ってご神体を聞いてみてほしい。もっと神社に興味を持てると思う。
仏と幽霊は関係がない。人格化した精霊は神社の管轄である。壬申の乱後8世紀ごろから仏教はしだいに神道を吸収していく。各地で祭られている神が仏教に帰依し、ここに神仏習合が形成される。神仏習合には当時の税制が関係しているが今は別の話。ここから、精霊(幽霊)と仏教との関係が生まれる。仏と精霊との関係は明治維新の際、神仏分離の際に関係が解消された。だから、寺と幽霊はすでに関係がない状態にある。
この辺の話は奥が深いが、図書館の蔵書で調べることは簡単なレベルの話である。調べてみることをお勧めする。私の作った戯言ではない。