夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

日本礼賛番組への気恥ずかしさと失望感

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 数年前からゴールデンタイムや日曜日の昼から再放送で頻繁に流れる日本礼賛番組の数々といえばだれでも見たことがあるかもしれない。日本の技術力がすごいとかアニメカルチャーは世界を席巻しているとか、日本人としてうれしい反面気恥ずかしい面持ちにさせる番組たち。気恥ずかしい気持ちにさせているのはたぶん自慢するという行為そのものが日本人としてはかなり特殊であり、控えめを美徳とする習慣とは異なるものであるからだと思っている。「自分かっけー」という奴をみて恥ずかしいと思ってしまう意識。誇りには思うが恥ずかしいのである。

 

 自分の周りにも悪い意味で自慢を繰り返したり、皆が知らないだろう知識を知っていることをひけらかす奴がいる。芸能人の○○にあったことがあるとか有名スイーツ店に並んで食べてきたとか、昔、海外の観光地に行ったことがあってあの時に食べた何とかがおいしかったなど、どうでもいい、半分以上法螺話と解る話。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。芸能人にあったといっても友達も何でもない、道端でばったり会ったぐらいのこと、そのスイーツ屋には俺もすでに行っているし、海外の観光地?おれは旅行会社勤務だったからそんなとこ以外にも何度も足をはこんだことがある。でも、そんなこと改めて口にだしていわないしその自慢女に対しても「えーいいなあ(棒読み)」ぐらいでいなしている。

 

 ふと考える。なぜ自慢したがるのか。自慢したがる人の精神構造はどうなっているのかと。たぶんこういうことである。自慢を公言する人はたぶん自分に自信がない、だから他人のふんどしで相撲を取ろうとするし、どうでもいい体験を誇張することで自分の価値を肥大化させようとする。しかし、それは無理して大きくしているだけなのですぐに小さくなるし大きく見せるためには嘘でも法螺を吐き続けなければならない。

 

 また、自分で自分を賛美するようになるということは気持ち的に過去ばかり振り返っているような進歩が止まっているような気持になる。自慢話とは過去の話だったり、現在の自分の状況だったり、決して未来を見ていない。

 もしも未来を見ている人ならば自分の現状に満足することなく未来を語るだろう。現状を自慢したり、過去を振り返っている暇などないはずだ。日本の現状は進歩をやめてしまった、過去を食いつぶすだけの存在に成り果ててしまったのではないか。

 

 日本礼賛番組の宣伝を見るたびに気恥ずかしさとともに、不安とあきらめ、ああ日本はもうだめかもしれないと思ってしまう。もう日本すげえとか日本サイコーなんて言っている場合ではないのではないか、いや実は時すでに遅しかもしれぬな。

 

 こんな理屈っぽい文章書いている時点で私こそもう終わっているかも知れぬ。ヤダヤダ年寄りって。先は長くはないかもしれないけど未来を見ていたいな。