機械の中から得体のしれないものが出ているイメージ
日本の技術礼賛の番組の話をしたのは最近の話。日本の技術が斜陽になっている傾向は前々から感じていた。なんかとってつけたような機能、説明はすごいけど導入がものすごく大変な技術。どうにかならないかなあと思っていたところソニーからなにから家電産業はもう息していないし企業は縮小。次のステップになかなか進めない状況で社員は疲弊、ブラックな様相。皆がよく知っている会社も簡単に倒産する状況。大手企業だって倒産して社員は路頭に迷う上等。大学で幸福な人生を送れるのは昭和時代の幻想?。今は何が幸せにつながるのかがわからない環境。
子供のころから家電業界に興味深々。子供だけでなく個人が体感できるハイテクなんて家電ぐらいなもの。ラジカセやビデオデッキ、ステレオなど。今はスマホ一台あればなんでもできる状況だが、昭和時代はそうではない。一つ一つがとにかく金がかかり、何かするイコールマネーである。ラジカセ1台が10万円とかビデオデッキは20万円はしたし、2時間のカセットは1本2000円はした。とてもじゃないがお金持ちしか持つことはできないが夢ではあるが金を積めばやすやすと手に入る未来。わかりやすい未来。これらを家庭に一台ずつ所有させることで経済が回っていたのだ。
私の家にも昔懐かしいシステムオーディオがあった。サンヨー電機の個人経営の店舗が近所にあったのでそこで何年かの月賦で購入したものである。私が小学生のころに導入されて、散々おもちゃにされて私が大学のころに引退した。天板は剥がされ、改造に改造を重ねられて正体がないほどになった。子供のころの時間はゆっくり流れるのでとっても長い期間遊んだような印象だったが、今考えればたった10年ぐらいの間しか使わなかった。親にしてみればとても高い買い物だったのだが10年ぐらいで分解されて廃棄される。自分のせいだ。申し訳ない。しかし、サンヨー電機としては売上がたち、社員の給与も支払えた。サンヨー電機は今はもうない。だが、分解したという行為による副産物は、私の礎となり今でも役に立っている。
今はパソコン、スマホで同じこと以上の事ができるためにとても安上がりな生活を送れるようになった。もはや音楽を聴くのにレコードに針を落とすことは必要ない。FMラジオから流れる音楽を45分しか録音できないカセットテープに録音することも、2時間しか録画できないビデオカセットに番組を録画する必要もないしそもそもテレビの前に決まった時間に座っている必要もない。ソニーの盛田創業者が提唱したタイムシフト論も形無しである。でも、そういった無駄なような時代を経てこその現状であるならばその時代にもそういった技術にも感謝せざるを得ない。しかし、安上がりで済む分、技術力で経済は回らない。いや、現代は無料のものが多くても経済は廻っている。なんか変。
ソニーが斜陽になったころの2000年代初頭には技術的な限界があったように思う。競争社会であるから必然だったといえばそうなのかもしれないが、消費者はいつも混乱していた。ブルレイとHDDVDの企画競争、コピー防止CDの混乱、テレビのコピー防止のカード(なんていったか?あれ)、パテントをめぐる混乱特にサムスンに特許侵害されたシャープの件。ガラパゴス携帯の話などなど。自分の殻に閉じこもりすぎて時代に取り残されよくわからない規格にしがみつき、さらには母屋を取られてしまった現状。日本すごいと言っているうちに総合電機メーカーはつぶれ、外資に買われ、テレビなど日本優位の産業も見る影もないのに、まだ日本すごいの連呼を続けている。ソニーの撮像素子が優れている?ソニーは復活した?それがどうした。6万人のリストラの果ての復活である。それくらいの業績が残せないなら経営陣は無能だ。
日本が作り続けていたブラウン管テレビやハイビジョンシステム、VHSやSDカードなどの規格はたしかに賞賛すべきものだ。しかし、2000年代からなにか技術に関してヘンな技術のものが目に見えて増え、次第に日本の技術力の優位性が崩れてきている。それはバブル崩壊の不良債権償却のために技術者を流出させたという歴史的な失敗にもあるが、もっと大きい総体として日本の技術の弱体化から起因しているものではないか。今後人口減少が進めばさらに日本の技術なぞ、どうでもよく思えるようになるだろう。実は現在がその状況ではないのかと思える状況で、日本の技術礼賛をいつまで続けるつもりなのだろうか。