夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

ラストシーンしか覚えていなかった小説たち 

 最近古〜いSFばっかり読んでるな。

 

  最後のシーンだけ覚えている小説ががある。最後を読んだら昔読んだ事を思い出すが、別段そのシーンだけが印象深い訳ではない。なぜ最後なのかはわからないが覚えているのだから仕方がない。なぜ最後のシーンなんだろう。

 

 JPホーガンの「星を継ぐもの」シリーズの第2弾、「ガニメデの優しい巨人」はその一つである。地球の歓待を受けて滞在をしていたガニメアンの一同が急遽旅立つ。シリーズ3巻にもわたる推理小説並みの謎解きがちりばめられており読んでいるだけでも「回収できるのか?この大風呂敷」と思えるほどであるが、小さなネタもすべて回収できたのはひとえに周到な構成がなせる技だったろう。そんなに印象的だったのに高校時代に読んだことさえ忘れていた。急遽飛び立ったガニメアンが地球人にしてしまった影響について反省しつつガニメアンの国へ向かうという最後のシーンを読んだ時に初めて高校時代のことが走馬灯のごとく記憶が呼び覚まされた。「アーこの小説読んだことあるわー」とつい声を出してしまった。

 

 

星を継ぐもの (創元SF文庫)

星を継ぐもの (創元SF文庫)

 

 これは、推理小説のような感じで覚えている。

 

ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)

ガニメデの優しい巨人 (創元SF文庫)

 

  この版を読んだ。「星を継ぐもの」は覚えていたのに。

 

 

 

巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))

巨人たちの星 (創元SF文庫 (663-3))

 

 これは、読んだことがなかった。これは後半は笑い話というかコメディに近いと思った。「フラッシュゴードン」の皇帝を頭に思い浮かべながら読んだ。これはこれでよい。多くの伏線が 回収される面白さがあった。

 

 

 もう一つ、最後のシーンだけがとても印象的だった小説があった。題と作者は誰かはわからない。覚えているのは最後登場人物の行動だけ。昨日その小説と邂逅した。地球最後の人類である登場人物が、地球崩壊のシーンを神のような存在にたいして実況中継をして絶命する。これだけいえばピンとくる方はたくさんいることだろう。そう、アーサーCクラークの「幼年期の終わり」である。

 

 

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

幼年期の終わり (光文社古典新訳文庫)

 

今回読んだのはこの版 新版

 

幼年期の終り

幼年期の終り

 

 高校の頃に読んだのはこの版 旧版

 

地球幼年期の終わり (創元推理文庫)

地球幼年期の終わり (創元推理文庫)

 

 これはまだ読んでいない

 

 今回読んだ「幼年期の終わり」は光文社古典新訳文庫版である。クラークその人は知らない人はいないだろうが、最近はそうでもないかもしれない。私が高校の頃でもすでに古典の領域にいたのに、今では最古典の類の小説。その中でもクラークの初期作品と思える作品だ。最初読んでいても昔読んだあの小説だとは全く思わなかった。最後のシーンで突然読んだ事を思い出したのだった。映画「インディペンデンスデイ」の最初のシーン、あの大都市の上に現れた飛行物体のシーンを彷彿させるシーンから始まるわけだが、全く覚えていない。それもそのはず、光文社版は、一章目がリライトされており、ハヤカワ版とは違っているらしい。まあ、それだとしても思い出したかどうかはわからないが。ちなみに「インディペンデンスデイ」に出てくる飛行物体は悪者だが、「幼年期の終わり」のは初めはいい奴。

 

 

 

 

 あれだけ熱中したのに全く覚えていない小説もある。覚えているのはよくわからない設定だけである。「地球の長い午後」は、カルト的に有名なSF小説。これも高校時代に読んだので最近また読んだわけだが、全く違う話に覚えていた。多分世界観があまりにも日常とかけ離れているので想像力がついていかなかったのかもしれない。

 

 

地球の長い午後 (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)

地球の長い午後 (1977年) (ハヤカワ文庫―SF)

 

 

 まあ、一度読んだ本の中身を忘れてもそれは仕方がない話。もう一度読む楽しみがあると考え直そう。しかし、「地球の長い午後」は、未だに世界観が頭に入ってこない。「きのこの帽子」でも被ればちょっとは頭が良くなるだろうか。