うちの女どもは要求が厳しすぎる。自分で掃除しない割には片付け始めるとやれ場所が変わるとか自分でやるからと何もしない。私は本当ならばものなんて全くいらない人間。必要最小限であればそれでいい。女どもは必要最低限のハードルが高いのだろう。
やって当たり前なことなのだろう。口に出して「やりました」というほどのものでは無いのかもしれない「名前の無い家事」全般もやっているつもりである。自分は嫌いな牛乳だって私の小遣いから買ってくる。朝に食べるパンなどもそうだ。ただそれが目に見えないから感謝されるどころか「何もやっていない」ということになる。口に出して誇ったところでわざとらしいと文句を言われるだけである。褒めてくれるのは猫のノブナガだけだ。
仕事の上での指導にもつながる考え方だ。あまり指摘してダメ出ししすぎると反発どころかやる気を削ぎ、退職へつながっていく。根性が無いなんて昭和的な考えは通用しない。人口が減少して少数精鋭、仕事の合理化を進めて専門的な仕事であっても誰でもできるような仕組みを作らなければならない。しかしこれも問題がある。誰でもできるような仕組みにしてしまうとその分野の重要度が見えなくなる。誰でもできるような仕組み化をしているのだからなおさらだ。重要度が見えないということは給与的に優遇されない。経営者にはうれしいはずだが労働者にとっては危機だ。私のやっている合理化案は給与を下げるとか、仕事の重要度を下げるためにやっているわけでは無い。定時で帰れるような仕組み作り、自分の時間を作るための仕組み作りを頭を使って懸命に考えている結果である。おかげで病院の本部機能の職員は、昔は残業常態化だったのが今では定時帰りが常となった。すると他の部門から本部は仕事をしていないように思われてしまう。普通の病院の本部機能をこの人数でこなしているなんて驚かれるんだけど。
仕事も家事も自分が考えるほど理解はされないものだな。