夫婦とふたごとネコ一匹

家族で起きた事件(?)を基に四コマ漫画を描いています。

もう森友問題どころではない 小説の中の話だとばかり思っていた公文書改竄問題

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 国会では野党が森友学園問題を執拗に繰り返す姿が無様なようだという風潮があるが、今回の公文書書き換え問題が浮上してきて野党の追及を非難してきた人たちはどう思っているのであろう。これはもう森友問題などは問題にならないくらい大問題だ。喜べ。ようやく森友問題から解放される。新たな公文書書き換え問題の招来とともに。

 

 ジョーオーウェルの「1984年」の主人公の職業は政府の発表にあわせて過去のあらゆる文書を書き換えるという仕事である。戦争をしている相手が急に変わる。それに従って過去の文書が全て書き換えられる。無理だ。広範囲に頒布している新聞、雑誌、その他の記述に変更を加えて再度雑誌や図書として頒布される。無理だと思っていても、その後のストーリーには重要な場面であるので必要となる。まあ主題のためには堅いことは言いっこなしってことで。SFなのでそういうことはあり得る。それがなかったらワープ航法なんてありえないだろ?SFだから国ぐるみの文書書き換えなんかが許される。

 

 それに、文書の書き換えで全てがOKになるのであればストーリーの全てが瓦解する恐れがある。なんでもありだ。探偵小説で「実は犯人は時間航法ができるのですよははは」などといったら探偵小説ではない。うさんくさいSFである。いや、SFであってもこえてはいけない領域があり、その中でストーリーを紡ぐことでもっともらしい理屈を弄することができるのだ。

 

 うまく説明ができたかどうかはわからないが詳しくはその筋の論客がこれぞとばかりに披露することである。私がもっともらしく語ったとしても何も役に立たない。が、公文書の改竄は国の根幹を揺るがす大問題だ。国のまつりごとは全てが文書によって行なわれているために何が書いているとしても全てが正しいという前提で物事が進んで行く。しかしながら、国の発表の信ぴょう性を担保する保証がなければ私たち市民は国の何を信じたらいいのだろうか。

 

一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)

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