カラーボックスの有用さをことさら否定するわけでは無いし、お互い(?)に認め合う存在でありたいといつも思っている。頭ではわかってるのだが、その裏に隠された邪悪さが漂う限りは100%あいつらを信じることなどできぬ。
カラーボックスは安い。価格は1500円程度で何も目くじらをたてるような価格では無い。機能も本を収納してもよし、タオルを重ねて入れてもよし、人間の想像を超えた使い方も可能では無いかと思えるほど有能である。しかし、物を収納したそのあとに注目した人間はいない。ぜひとも追跡調査をしてもらいたいところだが、私的調査によれば9割がた収納した物品はそのまま陳腐化する。つまり、ホームセンターで買ってきて組み立て、物を収納したとしても、収納した物品は固定し再び顧みられることはなくなる。数年後、部屋は不要な物品とカラーボックスに占領されてしまう。経年劣化とともにカラーボックスはよじれゆがみ色はくすみ結局は粗大ゴミに捨てられてしまう。
10年ほど前、カラーボックス廃絶運動を展開し、家の中からカラーボックスは一掃されたはずだった。一掃した代わりに日曜大工に凝っていた私が家中の家具を自作した。それ以来家具と名のつくものに縁遠いものとなったが、工具も散逸し、さらに追加で作成することは困難となった。娘たちの教科書などを収納するためには利便性と経済性を鑑みカラーボックスの登場は不可避となった。しかし、やはり悪夢は再来する。収納した小説や学習の終わったノート類や古い教科書群がそのまま収納されている。家の中の空間は有限である。限りなく流動性は高めていきたい。しかしカラーボックスは物を固定化してしまう。やはりカラーボックスは忌むべき存在だ。