ノブナガがこの家にきて早4年?5年?忘れるぐらい昔のような気がする。ある年の秋口に生まれて2ヶ月経った頃にやってきた。色は違うが双子の兄だか弟がいる。そちらは男の子だがノブナガは女の子。去勢は3年後にした。手術するのはかわいそうだという私の意見が珍しく採用されて去勢は免れていたが、あまりにも発情のスパンが長いため(週1で発情していた)、泣く泣く手術をした。途端に私の腕にまとわりつくことも私に自分の尻を向けることもなくなった。それでも可愛い家族の一員。
そのノブナガは夜になると家の窓から外をじっと見つめることがある。月が出ているとしても角度的にみえるか見えないかのすれすれの角度だ。見えているとはいいがたい。しかしあいつは何かを探しているかのように暗闇を見つめる。私たちには見えない何かが見えるのであろうか。いや、手術前にも同じように外を見つめることがあった。この近辺では珍しい野良猫の発情の鳴き声がたまにこだますることがある。それに呼応するかのように外を見つめることがある。自分は去勢されたのであるがまだ愛を求めているということなのであろうか。
それではなければもしかしたら自分と同じ猫の友達が欲しいのであろう。今までは私の家の中で猫はノブナガだけだ。岩合光昭の猫の番組を流すと決まってテレビの前に陣取り、食い入るように見入る。自分は人間ではなく猫であり、テレビに映るあいつらこそ自分の同類であるということに気がついている。窓をみつめる時のそれはテレビの前にいる時と同じ、いつもは黒いスクリーンであるがたまに自分と同じ猫が映る。漆黒の窓の向こう側から自分の友達がやってくると思っているのかもしれない。ノブナガには愛の囁きはもう届かない。しかし私たちの責任として友達としての猫を紹介するべきなのかもしれない。