家の近くの桜は完全に散っているのだが、妻の実家の周りの桜は今が開花時期である。実家に到着した日はやっと咲き始めた頃だったが、気温が急に上昇したせいか、ソメイヨシノが一斉に開花した。しかし、妻と私は、実家の掃除に時間を割かれていた。正月からかれこれ4ヶ月弱経ったわけだがその期間で溜まったゴミを捨てる用意に没頭していた。前回捨てるようにお願いしていたゴミがそのまま倉庫に積まれていた。まずその処理が先決だ。冬だった今までは良かったが、これから暑い夏がやってくる。ゴミの臭いが倉庫に充満するのは願い下げだ。もっともさすがに生ゴミは捨てているようだったが。
身近なゴミを捨てると同時に身辺整理も進める。何十年も開けていないダンボール箱。壊れた家電製品のチェック。開封されていない封筒の束。いくら業者が一気に引き取ってくれると言ってもまず中身を確認する必要がある。前回来た時にはあったマイナンバーの書類が見当たらない。無かったとして何か問題があるのかはわからないが、とりあえずなければならない書類のようである。探しながら掃除を進めるわけだが時間ばかりが過ぎていく。妻母からのダメ出しは容赦なく降りかかるためにドラクエのように一つ一つバトルをしながら進めていくが、遅々として進まない。タイムオーバー(帰る時間)は近づいてくる。
実際にゴミの分別するとなると混乱する。その地区(市)のゴミ捨てのルールは細かい。読んでみて頭が痛くなる。律儀にルール通りに分別することは可能なのか?と思えるほどである。高齢の独居老人にとってこのルールは理解できるのであろうか。さらに言えばゴミの種類ごとに袋が必要となるが、これも遠くのスーパーに買いに行かなければならない。車を持たない老人が数キロ先のスーパーに行くのはとても大変なことだ。また、行政の合理化の問題だろうが、ゴミ捨ての場所が集約化されているようで、ごみ収集所がかなり遠い。溜まったゴミ袋を車で移動する必要があった。
実家のゴミ問題は待ったなしである。明日その日を迎えるかもしれないのにゴミは増えるがゴミを捨てる仕組みそのものが郡部の高齢化に対応していない。昔は各家庭でゴミを焼却していた。家が密集していない田舎ならではのゴミ処理方法である。それができなくり、指定されたゴミ袋でルールも厳格。ゴミを捨てることさえも嫌になる。これは個人の責任にするには無理がある。地域に根ざす重大な問題なのだ。