昭和の時代を引きずるどこかのおやじのように、新しいこと特に若者のすることにいちいち難癖をつけるような気持ちは毛頭無いが、こと最近持ち上がった咲ちゃんのモーニング事件については異論を唱えたいと思う。前の休みの日曜日にモーニングを藍ちゃんと私たち夫婦の3人でこっそりと食べに行った。雰囲気はいい、雰囲気は。8時から開いているなんとかコーヒーのモーニングセットだ、まずいはずはない。確かにおいしいフレンチトーストだった。ホットケーキも頼んだ。サラダもセットについていた。これでウインナーコーヒーと一緒に食べれば朝は充実するに違いない。咲ちゃんはこんな朝を迎えた後に1日塾で勉強をしているのだなあと思うと感慨深い。悪くは無い、ていうか優雅だ。
藍ちゃんが言ってはいけないようなことを言った。「いつも食べてるホットケーキとおんなじだね」と。私がたまに作る朝食のレパートリーの中にホットケーキがある。ホットケーキを焼くのは私の役目だ。マヨネーズを入れるとふわふわになるのが隠し味だ。フレンチトーストは藍ちゃんの役目だ。メープルシロップとホイップクリーム、バナナなんかも挟むとそれはそれはどこかの喫茶店で食べるモーニングと間違うほどの美味しさである。藍ちゃんはそれが言いたかったのだ。家でも食べられるのは自明のことだ。モーニングなんて大したものではない。でもそれは言ってはいけないことなのかもしれない。スタバのコーヒーがなぜ高いのか?それはスタバという空間でくつろぐことができるから。それではモーニングはなぜ存在するのか?それは朝という忙しい時間をゆったりと充実した雰囲気でくつろぐことで1日頑張る気持ちを醸成するという役目を担っているからだ。それが良くて咲ちゃんは休みの朝早く家を出てモーニングを食べる。それはそれでストレス発散なので構わない。
しかしね、喫茶店のモーニングの値段は結構する。高校生の小遣いの範囲で食べるというのは回数に限りがある。このため、ちょくちょく小遣いの追加をねだってくる。それはどうにかならないだろうか。鷹揚にお金を渡す余裕はなかなか難しいのだよこのご時世に。私の小遣いだって増えているわけでは無いのに咲ちゃんばっかり不公平だよまったく。