生まれた時から娘たちとは程よい距離を保ちながらも何も言わなくてもなんとなく感情だったり欲しいものだったり食べたいものだったりを感知しそれを提供してきた。それは甘やかしというわけではなく親として提供しなければならないもの、提供したほうが良いものを取捨選択をして娘たちのためになるものを与えているという意味で。ゲームやスマホも欲しいがままに提供していたわけではなく早めに与えれば飽きるのも早く次のものに進めるからだ。親としてあまり干渉するとかえって固執してしまう。それこそ程よい距離を保ちながら。
しかしながら咲ちゃんたちもすでに高校生。男親の私としては何を考えているのかがわからなくなったことがことさら多くなってきた。どうやって娘たちの考えていることを察知していたかというと簡単である。本屋に連れて行って興味のある本を買うのだ。ファッションだろうか勉強の参考書だろうか、それとも漫画?なんでもいい。そのテーマを端緒にして何を考えているかを察知する。それを元に必要なものを提供するだけだ。これは中学生ぐらいの時までは効果がある方法だ。しかし最近は外してばかりだ。というか娘二人が将来の進む道について両親としての私たちが考えもつかない進路を選択してことには吃驚だ。これはすでに男親としての使命は終了したということであろうか。今はまだ寂しいのか嬉しいのははわからない。まだ女親としての奥さんの使命は残っている。やはり思春期の多感な娘の女親。その辺は安心して任せて行きたい。もうそんなに長く無い期間ではあるが。